オリジナルPC作製 Part-3

志向に見合ったパーツの換装

どうも記憶があいまいな気がしてならないのですが、
こうやって過去の記憶を辿りながら回顧録を認め続けていると、
PCの自作に踏み切ったのは「Soket 478」になってからのようなきがしてきました。

自作の当初に選んだマザーボードがMSI社製のATXだったことはしっかり覚えています。
その当時のマザーボードは、サウンドやグラフィック機能がオンボード対応の製品があったので、別にボード類を買い足さなくても間に合っていましたからね。

お金がなかったころだから、「なるだけ経費を押さえて安く作りたい!」高価なグラフィックボードを購入する余裕がなかったと思います。

当時は、メモリモジュール、HDD、光学ドライブなどに対して価格の低いバルク品を使う勇気がなくて、パッケージ品を買って予算をオーバーすることが度々ありました。そのため、サウンドボードやグラフィックボードまでは手が出せなかったわけですね。

少しつつパーツ交換に慣れてきたころに、メモリモジュールをブランド品に変えたりそれこそバルク品やリテール品などを使うようになったけど、心の底では不安がいつも付きまとっていた気がします。

当時は、なにをするのも「ながら族」で動画や音楽を再生しながら文書作成や表組などの作業を行っていました。
耳で聞きながら・・・だから・・・音質に関しては少しこだわったのかな?
オンボードのサウンド機能では物足りなくなって、ONKYO製のサウンドボートを搭載したこともありましたが、それでもグラフィックボードは欲しいと思ったけど結局手を出さない状態でした。

PCにインストールしているMicrosoftアプリケーションを使っての作業は、単調この上ないものですからね、集中して二時間が限界です。
飽きてきたら音楽や動画を見た入りしてくbんをリフレッシュしていましたが、いったん緊張が途切れると作業自体がつらくなります。

そこで、モニター画面を切り替えて地デジ番組表から見たいものをチョイスして見入ってしまう有様です。そのためマザーボードには必ずキャプチャーボードを実装していました。

私にとっては、レタッチソフト、表計算、文書作成、動画・TV・音楽視聴が最低限スムーズに稼働できるスペックがあればいいので、高機能を要求するような換装をしなくても済むので、比較的安価に抑えるとこができましたね。

このころは、パーツ交換の経費分ぐらいは自分の仕事で稼げたので、CPUのスペック向上にわせてパーツを換装していました。

しかし、次第にCPUの進化に大津家無くなってしまいました。

…続く
次回、「時代遅れになったPCパーツの換装」

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